合う人
最近じわじわと感じること。
歌うことが嫌いになったのでやめたい。
少なくとも人前で歌うことは。
人に指示され支配されてすることではない、音楽は。
しかも頼まれて歌うのにスタジオ代をとられ、練習に移動に時間をとられ、頭のなかもいっぱいで、私はもう憔悴しきっている。
支配者は言うことが聞く人が欲しいだけだろうし、善意を利用され、自分を搾取されてると感じるから。
好きなときに歌う、鼻歌のようなありかたにまた帰る。
それから、自分に合う人が分かってきた。
優しくてまめな人が好きだったけど、私は自由人だから、そっとしておいてくれて自立してる人じゃないとだめかもしれない。
会ったときには心行くまで相手の話を聞いて、私も本音を話し共に哀しみ労い喜べることができたらとても幸せ。
仕事、健康、おしゃれ、友達と話すこと。
それこそが私の楽しみ。
人の役に立つ働きをすること。
美しくあること。
健康であること。
おしゃれすること。
理解してくれる相手と話すこと。
自分が自由なまま、人を喜ばせることができたらいい。
それには支配的な人から離れること。
近づかないこと。
さよなら支配者たち。
私は自由な暮らしに戻ります。
私は、自分が自分らしくあるため、私を愛し理解してくれる人たちのために尽力したい。
いわゆる本音と建前
本音で話す人が好きだ。
建前や綺麗事を話すのは、公共の場で充分だと思うから。
本音を言えば、引く人もいるし、陰でそれを他の人に言う人もいるし、そういう機会があるととても悲しくなる。
悪口ではないのだよ。
あなただから、あなたと親しくなったから本音を話すよ、と自分を開いた。
それなのに、ゴシップよろしくネタにされたり、批判されたりしては何のための機会だったのかと悲しくなる。
そういう人に限って、決して聖人ではない。
そもそも人間は、その人しか経験してない経験や環境や、感情がある。
それが大前提である限り、誰からも何も言われる筋合いはない。
同じ経験をしてない人にそれは違うと言うのは、自分の貧しい想像力と妄想のせいでしょう。
だから、その人がそうするには、そうするだけの理由があるのだろうと思う。
そのうち、自分の考えなんてものを言うのは怖くなったんだけど、それが自分だという開き直りと、相変わらず建前と綺麗事が嫌いなので、つい自ら心を開いてしまう。
そのことについてどう思うか話したいだけなのだけど。
そういう人たちはもっともらしく、自分の愚痴や自己主張はするから疲れてしまう。
私の本音は、ただの疲れた愚痴で、あなたの本音は特別で当然な意見なの?と。
自分だけは特別だなんて思うことは、争いの始まり。
みんな特別という、ふわふわした言い方は違和感がある。
ただ、人のことは誰にも分からないという事実なだけだと思う。
それが敬意になり、愛情になり、関係になる。
自分と同じだなんて思わないこと。
気を付けて、人の話を聞いて接していきたい。
二面性
好き嫌いがはっきりしていて、好きなもの以外はまるっきりだめな自分。
一方で相手をどこまでも受け入れる入れ物みたいな自分。
どちらも紛れもなく自分。
大抵はどちらかの私しか知らないか、どちらかの私だけを期待している。
そう感じる。
言ってることが違う、思ってたのと違う、そう思われることもある。
でもどちらも本心で自分である限り、どちらかを否定されることは、自分を全否定されてるようでとても寂しく孤独を感じる。
そしていつか誰か私を愛してくれますように、いつかこの私の全てを受け入れてくれる人に出会えますようにと祈る。
そんなことが本当に起きれば、その人は盲目と呼ばれるかもしれない。。
私ならそういう人がいてその全てを受け入れられるか?そう思うとできていない。
いや、別に受け入れられなくてよい、ただ理解するだけでも。
否定せずにそっとそこにいてほしい。
私からそうしよう。
払いのけた手を
傷つくことは慣れない。
だけどその傷ってにせものじゃない?と思うことはある。
にせものの傷に傷つくことは、自分の中の盲信みたいなものが元凶なんだろうなぁ。
そこで考え方の転換や物事の見方を変えることが必要。
それって他人から学ぶしかない。
私は傷つきやすい。
だけどそのことを誰も知らないように。
思い込みが激しくて、人への期待が大きいのもあると思う。
みんなが無視してるのに特定の人の無視は気にならなくて、特定の人の無視はとても気になるというのを見ていると。
人に期待してしまうのはなぜかって考えると、やっぱり盲信に行きつく。
自分のストーリーに沿った展開を勝手に期待している。
それは逆の立場でも経験している。
展開が進まないと怒ったり、悲しんだり、追いかけ回してくる人はいた。
ではこれまでの出来事は見返りを求めていたんですね。
そうはっきり言ったときの、相手のうろたえた様子を思い出す。
要は自分も同じなのだろう。
妄想かどうかを意識しないとと思うし、期待とは違うところから愛情をもらうことも沢山あるよね。
自分が差し出された手を払いのけているだけで、力になってくれる人やなろうとしてくれる人はいる。
自分が差し出した手を払いのけられて気付いたことだ。
男女脳の違いに悩む
男女の脳の違いについての記事は、わりと頻繁に目にするし、毎回ふむふむその通りだと思うのに、最近言われ始めたことだからか50代
以上に全く浸透していない気がする。
http://temita.jp/wd/picture-t/13345
※ざっくりと偏見をさらしてしまいまして、すみません。
年齢に限らず、いざその場になったら、
Aとりとめのないことを話したいだけの女
Bとりとめがないのに解決しようとする男
A共感されたくて話す女
B愚痴だと思って怒る男
A分かって欲しいだけなのに怒られる女
B文句ばかり言ってるとイライラする男
の悲劇は後をたたない。
もちろんこの逆もあるだろうし、共感されたいかどうかが性別を決めるわけではない!
これ男性が対応が難しいのなら、女性が気を付けて話せば良いのだろうけど話し方が悩ましい。
そして、本当に話したいようには話せない分、共感してくれる人に話すしかない。
だって気を付けて話すので疲れそうで、共感を得られても満足度が低そうだからだ。
ジョングレイの本には、先に目的を言うべし。
と書いてあったのを思い出す。
「私は話を聞いて欲しいだけなの。10分くらい聞いてくれる?」
終わったら「聞いてくれてありがとう」
と言わなければならないらしい。
なんてこと!
と思うけど、確かに逆の立場になればそこまではっきり依頼されたのなら、対応は明瞭だ。
だけど、それは夫婦や友達なら良いけど、上司やその他目上の人には言いづらい。
「解決していただかなくて結構でして、私は話を聞いていただくととても安心しますので、10分ほどで終わります。私の話を聞いていただいてもよろしいでしょうか。」
そこまでして言うべきなのか?と疑問が沸く。
つまり言えない、ということだ。
しかし私はその目上の人にどうしても愚痴を言いたい。たとえば他に話すことはないし、相手も無口で話さない、などの理由で。
ましてや、ありきたりの天気やテレビの話題なども一段落している。
そこで思い付いたのが、独り言風に話をもちかける技法だ。
「別に解決したいとかではないんですけど、○○が~ですごくイライラしたんです。どうして○○なの?って思って。あ、でも、いつも人に話すと悩みごとを忘れるので寝る頃には忘れると思います。」
しかし、ここまで言っても
「じゃあはっきりそいつにそう言えばいいじゃん」
とか言うのが男性なのだ。
解決しないを念頭に、どうかだらだらっと話を聞いていただけないでしょうか。
祈るしかない。
歌と私の関係
今日、好きな女性アーティストのライブを見た。
好きな曲が流れていたときは、終始ぐわーっととろけそうな熱が体内から沸き上がって、溢れていきそうな感じがしていた。
好き。
幸せ。
って何度も思った。
もうその曲で帰っても良いと思えるくらいに。
私自身は、人前で歌うのは苦手だけど、誠実に思いを伝えることに集中したいと思えた。
そして人前で歌うのは苦手なのに、もっと上手くなりと思う自分は、いったい何のために歌うのだろう?とよく思うけど、やっぱり今日も思った。
だけど、それくらい私にとって歌うことは、綺麗になりたいとか痩せたいとかと同じ普遍的情熱的な欲求なのだと思う。
だから、こうして機会をいただいてるのかもしれない。
もっと素直に受け取ろう。
他には、
自分を上手に素直に飾ること
歌に頼って良いこと
余計なことは頑張ってしないこと
そんなことを得られた意義深いライブ。
無理に人に合わせると、ストレスがたまってかえって人を傷つける。
周りからも誤解されて、孤独になる。
これの繰り返しだから、気を付ける。
いつだってこうして歌って浸って親友に悩みを話した気持ちにでもなって、楽になっていたじゃないか。
私と歌との関係はそれだけで充分だ。
歌詞を読めばみんな同じだと思えたり、そういうことなのだと絵のように自分の環境を捉えられて気持ちが楽になる。
感情に名前をつけると楽になるという、心理的なあれに似ている。
表現をしてくれている人達には、本当に感謝だね。
帰って聞いた好きな曲。
私は人を弱くしていると感じていた。
弱味につけこんでいるつもりはなかった。
だけど、誰かの弱さを受け止めることって、そういうことと表裏一体でもあるのかな。
誰かに元気が出たと言われたら嬉しくて、親身になることと、励ますことのバランスやタイミングや言葉遣いにはいつもいっも心を砕いてる。
彼や彼女が本当に笑顔になれたらいい。
溺れ
愛とは恋とは人生とは生きるとは…
そんなことを真剣に考えては、答えを出してみたり出ずにため息つきながらもその時期は、収束していって、また、宙ぶらりんで足元おぼつかない自分になる。
そんな感じの日々をずーっと繰り返してきている。
子供の頃からなので慣れても良いはずだけど、毎回真剣に悩み苦しみときには泣いて自暴自棄になったり、憂いたりする。
それはとても生きづらく、ただ目の前の今に心を注ぐような瞬間を積み重ねていくように、もっと素直に生きたいと思う。
いつもそんな自分を救ってくれるのは友達や家族。
「あなた溺れかけてるわよ」って教えてくれる。