いわゆる本音と建前
本音で話す人が好きだ。
建前や綺麗事を話すのは、公共の場で充分だと思うから。
本音を言えば、引く人もいるし、陰でそれを他の人に言う人もいるし、そういう機会があるととても悲しくなる。
悪口ではないのだよ。
あなただから、あなたと親しくなったから本音を話すよ、と自分を開いた。
それなのに、ゴシップよろしくネタにされたり、批判されたりしては何のための機会だったのかと悲しくなる。
そういう人に限って、決して聖人ではない。
そもそも人間は、その人しか経験してない経験や環境や、感情がある。
それが大前提である限り、誰からも何も言われる筋合いはない。
同じ経験をしてない人にそれは違うと言うのは、自分の貧しい想像力と妄想のせいでしょう。
だから、その人がそうするには、そうするだけの理由があるのだろうと思う。
そのうち、自分の考えなんてものを言うのは怖くなったんだけど、それが自分だという開き直りと、相変わらず建前と綺麗事が嫌いなので、つい自ら心を開いてしまう。
そのことについてどう思うか話したいだけなのだけど。
そういう人たちはもっともらしく、自分の愚痴や自己主張はするから疲れてしまう。
私の本音は、ただの疲れた愚痴で、あなたの本音は特別で当然な意見なの?と。
自分だけは特別だなんて思うことは、争いの始まり。
みんな特別という、ふわふわした言い方は違和感がある。
ただ、人のことは誰にも分からないという事実なだけだと思う。
それが敬意になり、愛情になり、関係になる。
自分と同じだなんて思わないこと。
気を付けて、人の話を聞いて接していきたい。